彼女は自由と愛とあなたが欲しかった サンクス一万打(もっと早くあげたかった)


すっかりほこりをかぶってしまった戸棚の奥の、そのまた奥に、砂隠れの額当てがあった。それはもうほとんどが錆びている状態。わたしは心底、驚愕していた。ほこりまみれのベッドに弾き飛ばすと、そのベッドからもほこりが舞いあがった。デイダラには、この部屋を掃除するように言ってある。けれどもあいつはトビと人柱力狩りを任されていたり、他の任務があったりと忙しいらしく、結局はわたしが部屋を掃除する事になってしまった。面倒くさいけれど、たぶんわたしがこの部屋を掃除した方がいいんだろう。最初デイダラがこの部屋を掃除したときはまる一日かかった。「あんたトロすぎ」と罵っても、いじけるばかりで目を見ようともしない。きれいすぎるほど片付いた部屋を、もうあいつは掃除しようとはしなかった。

(つらいことばかりわたしに押し付けるんだから、たまったもんじゃないよな)

苦笑して、額当てをつまみあげる。砂隠れのマークに深々とした一線の傷があった。えぐれてえぐれて、貫通しそうなほど深い傷だ。

(まさかこんなところに、あったなんてな)


大蛇丸が暁を抜けた頃さほど忙しくもなかったわたしは、サソリがデイダラと組むまでの間、緊急でツーマンセルを組まされていた。でもすぐにデイダラが配属されて、わたしはまた穏やかな日々に戻れるんだなーと思っていたけれど、それは大きな勘違いだった。リーダーは続いてデイダラとサソリ二人の援護をしろと言うのだ。最初は、なんでこんなオヤジにまだついてかなきゃなんないの?!って嫌がってはいたけど、否応無しに、結末は一つだけだった。

大蛇丸が抜けた頃のツーマンセルでの行動とは全く違い、毎日がパシリに使われるばかりの日々が始まった。眠りでは取れない疲労も溜まっていた。なんせアジトから一日がかりで四方を駆け回って、傀儡の材料を探しに行かねばならない日々の繰り返し。その材料が人間だというのだから、たまったものじゃない。人ひとり、脱力仕切ってわたしに全体重をかける人間をかかえてはしり続けなければならないのだから。その頃のわたしが、自分は何の為に暁にいるんだ、と思い悩むようになったとき、サソリと大喧嘩をしたことがある。

なんせあいつはわたしを子供扱いする。久しぶりの休みで一日中寝ているわたしの部屋に来ては、ヒルコの尾で暁のコートごとわたしをひょいと持ち上げて、ずり落ちていくさまを見ては笑い、寸でのところでぽいっと軽く投げ捨てる。だがどういう訳か大喧嘩をしたその日ばかりは、そうもいかなかったのだ。高く高く持ち上げられて、いつものことだとわたしは疲れのあまり無抵抗で、しかし、落ちたのだ。ビリビリとコートの破ける音がしたと思ったら、次には体に重い衝撃が走った。同時に、カラカランと乾いた金属音が響いた。

「あ、悪ぃ。んなつもりじゃなかったんだけどよ」
「ひどくないっすかーこれ。日頃がんばってる人間に対してすることっすか、これ」
「いや悪ぃって。別にわざとやったわけじゃねえ」
「へー。じゃあわたしの事抱えて、床まで運んでください。疲れて動けませんし。あと落ちた額当ても拾って下さいよね」
「ったくしゃーねーな」

億劫だといわんばかりに、ヒルコの傀儡を脱ぎ捨てた。いつもビビる。だってあの猫背のヒルコを脱ぎ去れば、なんとまあ美少年が姿を現すのだから。
わたしを抱えるより先に、サソリは額当てを拾いにいった。それを摘み上げると同時にサソリは怪訝そうな顔をした。

「おい、何だコレは」
「額当てっすけど、なにか」
「馬鹿違ぇよ。何でこんなに傷が浅いか聞いてんだ」
「傷って……ああ抜けたときにやる、傷のことっすね。ふつうでしょ」
「ハッ。こんなひょろっちい一線が、普通な訳無えな」

嘲笑うようにこんどは鼻をならされて、わたしは少しムッとした。じゃあ、サソリはどうなんだと問うてみた。

「そんなもの、どこにやったかも忘れたな」
「それほんとですかー?」
「嘘ついてどうするんだ。にしても、こんなひょろっちい傷。よほど里に未練があるんだろ」
「そんなことある訳無いです」
「嘘つくなよ」
「ついてないです」
「おまえはいつも、嘘をついているときは大概、丁寧に話すからな」

図星だった。もはや嘲笑われても、言い訳したところで見苦しいだけだ。そうだ、わたしは里に未練をどっぷり残してここへ来てしまったのだ。でもそれは、この目まぐるしいほど忙しい日々の中では忘れ去ることが出来た。わたしはそれに縋って、縋って、今にも朽ちそうなのだ。わたしはサソリのように、器用じゃない。未練など一切残さずとも、きっとこの人かもわからない奴は、巧みに日々を持て余すことができるのだろう。わたしはそこまで器用じゃないから、朽ちそうなのだ。

「いつまで笑ってんすか」
「いやな、お前の意外な一面を見たなと思った」
「……わたしは、自由になりたいんすよ。全てのものが消え去って、そこから始まる日に立って、自由を、迎えたい。もちろんその日、未練もすべてが消え去っているから、わたしは高らかに笑って、自由をおおいに楽しむんだ。
 サソリ、あんたは、それが意外な一面だと思うんすか」
「そうだな、皆似たようなものかもしれんな」

わたしを抱えようとした手が、後方に大きく弧を描いて飛んでいった。わたしが不意に振り払ったせいだが、その手はすぐに元に戻ってしまった。わたしはカッと顔が怒りに燃えるのを感じた。気づけば抑えられない衝動がわたしの気性を滾らせて、声を荒立たせて、吼えさせた。

「サソリなんか、死んでしまえばいいんすよ。あんたはいつもわたしの自由を奪うんだ!人傀儡にする人間を抱えさせて毎日走らせ、未練を思い返す暇が無いほど日々を目まぐるしくしていく。訳もわからないわたしは、自由ってことが何なのか分らなくなっていく!
 あんたはわたしの自由を取り上げるんすよ!」

驚くこともせず、ただぎょろりと恐ろしいほどに目を開き顔を命一杯近づけて、サソリは、わたしを突き放すように言った。

「ハッ。大した言いがかりだ。いいか、どんだけお前がオレを憎んでも知ったことじゃない。だがな、オレは朽ちない。傀儡だからな。このままオレが今のような健やかな時を過ごしていれば、オレが朽ちるとき。つまりお前の望みがかなったときは、世界が終った日だとでも思っておけ」
「じゃあ世界なんて、終ってしまえばいいんだ」
「里に未練残して、額当てに傷ひとつ付けられない奴が、よく言う」

静かに苦笑したサソリは、わたしを抱えるのはやめて、部屋を出て行こうとした。半ば振り返り、次には吐き捨てるようにわたしに言った。

「今から一尾の人柱力を狩り、一通りの仕事を終えたら、暇ができるだろう。その夜にまた戻ってくる」
「もう一生帰ってくんじゃない」
「……帰って来たら、オレはお前を自由にしてやるよ。お前の望むものをくれてやる。だかな、後は自分で何とかしろ。その時まだオレに何らか言いがかりをつけてくるようじゃあ、自由を本当に、奪ってやるよ」

バタンと戸が閉まる音が聞こえた。わたしは顔の前で腕を交差させ、誰がいるわけでもないのに目に溜まる熱いものを晒せはしまいと、必死に抑えた。その熱いものは、うれしいからか悲しいからか、もしくは愛おしいものにとんだ馬鹿なことを押し付けたものだと後悔しているからかは分らない。けれども今はただ、泣きたかった。
それから、サソリが自由を与える約束の宵の日は、いつまでたっても、やってくることはなかった。






一通り、掃除を終えた部屋は見違えたものだった。ほこりは舞うことすらなくなっていた。
サソリが死んだと聞いた日、わたしは信じることをしなかった。なぜならば、世界はまだ、終ってはいないのだ。それにサソリはわたしに自由を与えると約束までしたのだ。あいつは待たすことも待つことも好まない。わたしは怒って、泣くことさえも忘れた。なぜあいつが、こんなにもわたしを待たせるのかと。けれどもしだいに怒りが静まって、悲しみかも分らなくなったとき、あいつは死んでしまったのだと、あの日と同じ否応無しに受け入れることになったのだ。世界が終るのはいつかいつか、と待ちわびていた。けれども一向にその余興さえ、世界は見せようとしない。サソリは、健やかな時とはまた違う、非なる時に巡り合って、死んでしまったのだろう。

額当てをつまみあげる。驚愕の気持ちは、まだ微かに疼いている。まさかこんな所に、サソリの額当てがあっただなんて。えぐれた一線の傷を見詰める。暁の他のものとも、ましてやわたしとも違う、深々とした傷だった。
あいつは一体何を思って、覚悟して、この額当てに一線を引いたのだろう。今となっては問うこともできない。叶わない願いが、また、生まれてしまった。なんて卑怯なやつだったんだろう。自由を与えてやるとエサを振り、喰らいついてみたところで、得たものは絶望だけだ。なんて虚しいんだろう。
綺麗になりすぎた部屋の中でも棚の中だけはほこりまみれだ。デイダラも、さすがに中を探ろうとは思わなかったらしい。そのせいでわたしはとんだ物を見つけてしまった。いくら棚にほこりが被っているとはいえ、綺麗な部屋は、まだ人が住んでいる気配を漂わせた。デイダラが掃除をしたくなくなってしまった気持ちが、よくわかった。今、後ろを振り返れば、サソリがいるような気がするのだ。待たせて悪かったな、自由を、くれてやるよ、と吐き捨てるように言うサソリが。
わたしは苦笑した。どうやらサソリは、わたしに鎖までもをかけていったらしい。思い返すたび、引力の様にあの頃へと引き戻そうとする、目には見えない、強い、鎖だ。
感じた瞬間、わたしはもう二度と、自由を得ることはできないのだと悟った。



(やっぱり、あんたが死んだからって、世界が終るわけじゃないんだ……)



遠く遠くへ、額当てを投げた。ヒュウッと音を立てながら、額当てはどこまでも飛んで行く。このまま、死んだサソリがいる所にでも届いてしまえばいい。そうすればきっと、自由が無く、何かに縛られてばかりいる自分を、また救ってやるとあの日の様に約束を交わしてくれる。そう思っているのだ。
熱いものが目から零れたとき、わたしのなかにある目には見えない世界がサソリが言った様に、確かに、音も無く崩れていくのを、宵の中ひとりで、感じていた。


(08.07.11)

(一万だのために書いた長めの話でした)