図書室は既に夕焼けに染まっている。図書委員の仕事が終っていない、というか大半押し付けられた仕事をわたしは黙々とこなしていた。本の紹介文だった。上級生の人たちは「あたし本とか読まないしーちゃんはいっぱい読んでるから書けるよねっ」とかなんとか言ってそそくさと帰宅していった。反抗するのも面倒くさかったわたしの耳には最後、仕事を押し付けやがった上級生が、田島君野球がんばってねーときゃっきゃさわいでいる声が聞こえた。営業スマイルなのかは知らないが田島はニカッと笑って部活に向かうものと思われた……が、現在わたしの前の席におもむろに欠伸をしては背伸びする姿がある。 「はやく部活行けばどうよ。田島の仕事もう終ったじゃん」 「んーまだやってんじゃん。それに今日ミーティングだけだし」 「別に待って無くてもいいって。皆帰ったし」 「が終るまで帰んないー」 「だったら手伝えばー」 どういうつもりかは知らないがまた田島はにははと笑う。是とも否とも取れるからわたしはうんざりした。 「なんでは仕事全部任されても、文句とか言わないわけ?」 「断ったら断ったで、ぶーぶー文句言うでしょ先輩達。面倒くさい」 「仕事のがもっとめんどいじゃん」 「どっちも一緒だ」 わたしの指の骨がぽきぽきなる小気味良い音が響く。さすがに疲れてペンを放り出すと、田島がさっさと終らせろよーうと文句を言った。その発言からして手伝う気はさらさら無かったらしい。フンとわたしは鼻を鳴らしてにっこり笑った。わたしにしては田島に対する嫌味だったのだが、どう勘違いしたのかにっこり笑い返されてしまった。こいつはどんだけ鈍くて馬鹿なんだ。うんざりして仕事を再開した。田島はふらふら歩いて本棚に向かった。持ってきたのは絵本。完璧馬鹿だ。てっきり野球か何かの本かと思った。しかし、こんな完璧にできた馬鹿をわたしはみたことが無い。 「お子様ランチとか食べるでしょ、あんた」 「ははっこの歳でそんなんじゃ足りないってー!」 「(そーいう問題かよ)じゃそれは何」 「本」 「いやいや絵本だから。しかもごんぎつねだし」 「だって分厚いの読めないんだって」 「わっけわかんねって君」 「あーめんど!」 「何が?」 「生きてるのが」 「……馬鹿が何をおもむろに吐くかと思いきやー」 今度は田島は、笑わない。冗談じゃないらしい。夕焼けがうつって、田島は燃えているように見える。奇妙だ。馬鹿が冗談を言わない。実に、奇妙だ。わたしは田島の手からごんぎつねの絵本を取り上げてぱらぱらとめくった。なんてことないフツーの古びた絵本だ。高校にこんなもんがあっていいのかよ。先輩の事もいちいち待ってる田島も、それにごんぎつねに対してもだんだんイライラしてきた。馬鹿なフリしてる田島の方がイライラするかもしれない。わたしはバンッと絵本を机にたたきつけた。少しビクッと驚いた田島がこちらを見る。あいつが何を考える暇も無く、わたしは絵本を放った。見事、田島の頭にあたる。逃げるようにわたしは、本棚と窓との隙間に移動した。イスが駒つきだったのでちょっと足で床を蹴れば、十分移動できた。そんなわたしを咎めるような視線を感じる。 「いってーよ」 「痛くなるように投げたんだよ馬鹿もどき」 「お返しは三倍返しだってしってんのかー?」 「しんじゃえよ」 「は?」 「めんどいんならしんじゃえ」 「じゃ一緒に死んでくれんのかよ」 「なんでそーなるんだよ」 「ひとりで死ぬの怖いんだぜ」 伏せていた目も顔も、まるで自分のじゃないみたいに、勝手に、あがった。斜め前にはわたしに向かって正面に座っている田島がいる。無機質な顔をした馬鹿もどきの田島だ。ほんとに滑稽だ。馬鹿みたいだ。なんでこんな人間と一緒に死んでやらねばならないんだ。そうやって冗談っぽく言え。そしたらそこで全部終るよ。笑っていったら絶対あいつも笑う。そしたら仕事なんて放っておいて帰ったらいいじゃないか。動けよ、口。出てよ、声。 「、死んでくれるんだ」 結局口も動かなければ声も出なかった。ほんとうに嬉しそうに田島が笑って、こっちに向かってくる。奇妙で、怖い。幻みたいだ。痛みで幻じゃないとわかった。わたしが呼吸の息を吸う動作をした瞬間、田島の片手がわたしの首を掴んだ。驚いて目を見開く。でもすぐに目は閉じられてしまった。苦しさのあまり叫びたい。でも無理だ。 どうにか目を開けるとわたしは苦しみも痛みも全てを忘れてしまった。陸に立っているとき後ろから急に突き飛ばされて川に落ちてしまうような感覚だった。 田島が、苦しそうに泣いている。 無機質な顔なんかじゃない。眉間にしわを寄せて、まるで幼児が泣きじゃくったあとのような顔をしている。やっぱりこいつは、人間だ。 わたしがそう感じた瞬間田島は、はっとした顔になって、わたしの首から手を離した。あたらしい空気が、勢い良く肺に流れ込んできて、せきをしていながらも安心した。そんなわたしをしばらく見詰めていた田島は涙をむちゃくちゃに拭っている。 「殺すのはもっと……めんどうだ」 「……し、ぬのは?」 「できなくなった」 「なん……で」 「の苦しがってるの見てたら死ぬのもめんどくさそうだ!おまけに苦しそうだ!」 むちゃくちゃな腕の動きと一緒で田島の言葉もむちゃくちゃに飛びだしてくる。夕焼けのなかの、今の、田島の姿は滑稽以外の何ものでもないけれど、なんかすごく綺麗だ。 わたしを殺そうとした友人を、わたしは嫌いになれそうにない。馬鹿みたいだ。 (いっそのこと今あんたのむちゃくちゃにあらぶる腕を掴んでしんでしまおうかといってみようか) (滑稽な馬鹿もどきならどういう意味かわかるだろう) (08.07.26) |