小さな私室に鈍い音が響き渡る。爪が手のひらに食い込むほど強く握り締めた拳を力一杯に振り下ろしたから。それを避けようともしないはうっ、と呻いて腹を押さえて胎児の様にうずくまる。しだいにその体制も緩まって同時にきつくかみ締められていた口元も緩む。
笑っている。オレはこんなにも狂気を晒しているのに。
最初の頃はも驚いて目のふちにはじわじわ涙が溜まって最後にはぷつりとそれも切れて、泣いていたのに。 今ではもう、泣く事はない。笑っている。
オレは更に苛立って、足で強く背を蹴った。がはっ、とさっきよりもが強く呻いた。倒れこんだの服は無造作にまくれ上がっていて、そこからは鬱血が何箇所も見られる。消えかけのものや、最近のもの。重なっているものまである。それはまるで奴隷の烙印のようだ。

「なんで笑ってんの。オレそういうの、すごい、むかつく」
「栄口はいつも、むかついてんのにね」
「もっとむかつくんだよ」

ははっ、とは笑った。手首を掴みあげて無理やり起き上げさせる。その腕は氷のように冷たく、オレがつけた傷も鬱血も全然ない。ただひとつ、まっすぐに塞がりかけの線がある。オレはその腕の冷たさと自分の卑怯さに、ぞっとした。決して人目に付かない部分を殴るオレの卑怯さは、とても醜いから。
はこっちを向いている。その目は揺らぐことが出来ないからっぽの目で、なによりもぞっとする。氷の人なのか。こんなふうにしたのは自分で、それはぜったい認めたくなくて、苦しいから、手首に噛み付いた。
しばらくしては目を見開き、しばらくして叫んだ。目のふちに湧いてきたものと一緒に溢れた。塞がりかけの傷から血がでてきたのだ。
満足した、と、思ったのに。

「なんで、なんで笑ってんだよ、おまえは」
「わ、わかんないよ。すっごい痛いのに」
「マゾなんだろ」
「さあ」

にこり笑ったは、獣の様にずるずると血をすする。いつのまにか自分は震えていた。

「怯えてるね」
「別に、」
「やさしい人、を、やめられないんだ。全然やさしくなんかないのに。狂いそうで、怖くて、怯えてるんだ」
「違う……」
「ほんとはもっと暴れたいんだ。悲しいね。何よりも、苦しいんだもん」
「全然、苦しくなんかない」
「ならやさしい人、やめてよ。いつも、狂っててよ」
「黙ってくれよ!」

思いっきり突き飛ばしたは壁に頭をぶつけて苦しそうにうずくまった。頭をかかえているせいでよく見えない顔も、すこしの影の隙間からは、見えた。

も一緒に、狂ってよ……」

顔を上げたの顔はやっぱり笑顔がはっきり見えた。
薄く口が開き、今にも消えてしまいそうな曇った声が揺れる。


「ごめん、わたしもう、狂ってる」




喰われる

(オレはこんなにもやるせないのにまたお前は笑う)(そして明日にはまたいいひとがまってるねと馬鹿にする)


(08.08.01)