そして彼女は永遠の命を手に入れる


病室に吹き込んだ風が、真っ赤な薔薇の花弁を一枚、散らせた。それはひらひらと舞い、想い人が寝ていたはずのベッドにふわりと落ちた。
皮肉にもそれはの鮮紅色の血を連想させる。真っ赤な、鮮紅色だ。


「なんで薔薇なんだ」
「すきなんだよ。鮮やかなのが」
「でも病室にこの匂いは合わないよな」
「それでも持ってきてくれるでしょ、泉は」


いずみ。


からそう呼ばれることをオレは好んでいた。あの薔薇よりも美しく艶のある声は女子にしては低く、その声は自分の名前を魔女が扱う呪文の様に唱えた。
それもこの病院に入院してからはすっかり艶がなくなっていた。それでも嫌いにはなれない。決して。



「泉、まだいんのか」
「……え、ああ。田島」
「オレ先帰るな。お前も早く帰れよ」
「今日は、ここにいる」
「おまえそんなんしてたらいつまでも……」
「分かってる。今日が最後だから。だから、頼む」
「わかった。じゃあな」

ベッドの上の花弁を田島は摘んで、ゴミ箱に捨てた。鮮紅色を見るのは何も今日ばかりではなかった。

「水が飲みたい、いずみ」
「わかった」

の口に水を運ぶたび、嚥下する力が弱まっている喉から口へと水が零れる様を、オレは幾度とみた。
その度にのひび割れ乾燥した唇をガーゼで拭くと決まって鮮紅色の血が出るのだ。それを舐めるはいつも悲しそうだった。
あんなにも艶やかで赤みを帯びていた唇が今となっては、といったようだった。いたたまれなくて、悲しくて、悔しかった。

またある時は、真っ赤な花がシーツに咲いた。喀血したのだ。うつろになるの目も、シーツに散った喀血の血も、その鮮紅色も、オレの体を存分に震い、オレの弱さを知らしめた。
強くなりたいと、願った日だった。

けれどもを守るほどオレは強くなれなくて、ただ慰めの言葉をかけてやるほかに方法などなかった。あの日から喀血は幾度と続き、弱音など吐かないが一度オレに言った日があった。


「わたし、死ぬんだね。もうちょっとで」
「何バカなこと言ってるんだよ。おまえが、死ぬわけねえじゃん」
「やさしいね、いずみは。でも分かるから。わかる」

そう言われたとき、現実をオレよりもしっかり受け止めていたが目の前に居る事を知った。シーツにしがみつく様にして握った自分の手に、涙が落ちた。

「泣かないで、いずみ」
「だって、おまえ……っ」
「泣かないでよバカ。わたしが、わたしが泣きたいよ」
「……」
「死にたくないよ、死にたくないんだよ、いずみ。まだいずみといたいんだよ……」



生きたいんだよ。




そういってはオレにしがみついて、泣いた。嗚咽は喀血よりも多く吐き出していて、が生きたいと言うたび乾いた唇からは血がにじんだ。

それからは薔薇を持ってきてほしいと言い、それきりうとうとと眠り、昏睡状態に陥り、三日後に逝った。あまりにも呆気なく、儚く逝ってしまったものだった。
だからだろうか。
不思議と涙が出たのは最初のうちで、それもあの日泣いた以上の涙は出なかった。
だというのにを願った。返せ返せと願っても、この病室にしがみついても、戻る筈はないのに。

強い風が吹いた。共に声が聞こえる。今度は鮮紅色の薔薇は、散らなかった。故にだろうか、それから数日、薔薇は艶やかに咲いていた。一枚も花弁を散らすことなく。



は今でも生きている。オレの記憶と共にあって、永遠に生きつづけるから。





(08.06.0)