少し熱くなってきた、春。桜は緑の葉へと変り始め、近所の梅の花弁は赤黒く変色している。朝のランニングでも、長袖のジャージから半袖のTシャツに替えようと思っていた 頃だった。
ちょっと休憩……だな
まだ朝もやの残る路地に、疲労のたまった足腰を下ろした。となりには、キレイな花びらも、ふわふわ柔らかい綿毛もない、裸のタンポポがあった。 そうか……もう、こんな季節になってきたんだ。改めて春の終わりを感じた。もうじき、暑い暑い、むさくるしい夏がやってくる。蚊が飛び交い、油蝉がジジジジ鳴き、家の近く にある小川も、そろそろ賑やかになってしまう。そしたらまた、子供好きな母が、わたしの大好きなスイカをまるまるそいつ達に与えてしまう。どちらかと言えば嫌いな夏が、すぐそこ。 はあーとため息をついていると、きょどきょどとした声で「お、おはよ う、さん!」とあいさつされた。こんな喋り方でわたしを呼ぶのは、クラスメイトの三橋君しかい ない。顔を見上げると、彼はビクッと体を浮かし、いつも以上におどおどしている。「おはよう、三橋君」と喋りかけると、さっきよりはだいぶ落ち着いたみたいだ。

「どうしたの、こんな朝早くに?」
「あ、野球部 の練習が あるんだ!その、さん、こそ……」
「わたしはランニングだよ。いつもこの辺、走ってるの。疲れたからしばらく休憩ーそれにさ、さんっていうの、やめない?」
「う、うへ?」
「同い年なのに、さん付けなんて、変じゃない?」
「え とじゃあ……ちゃ、ん……あの、」
「なんですか、三橋君」
「そ、そのお腹、減ってな い?」
「え?ああ、そういえば。朝ごはん食べてなかったっけ」
「じゃ、じゃあ!!」

そういって、彼は何やら徐にリュックのなかをガサゴソしはじめた。途中来た車に、クラクションを鳴らされて、いつか本当に轢かれちゃうんじゃないかって思った。 でも、クラクションにはさほどビクついてはいない。不思議というより、天然……だろうか。
はい、といって差し出されたのは、真っ白の真ん丸い食べ物だった。まだコンビニで売っているのだろうか。

「こ、これ……中身は?」
「ふつう だよ!肉まん、その、き 嫌い?」
「ううん、すきだよ。ちょっとビックリして」
「……?」
「三橋君ってさ、結構食い意地はってるから。食べ物くれるなんて、意外だなあって」
「オ、オレだってたまには、役に立ちたい ん だ!」

何の?って問い返す。そしたら彼はもっと困ってしまったみたいだ。ぷっと口から笑が漏れた。やっぱりおかしな子だなあ、三橋君って。生ぬるくなった肉まんは、水滴が付いてふやけ ている部分があった。あのリュックの中で、よく潰れなかったな。そう思っていると、今度は栄口が「はよっす!」とあいさつし、姿を現した。なぜこうも騒がしくなる。連鎖反応か。

「三橋!遅れるぞー」
「さ、栄口くん おはよ!」
「おはようございます」
「何だ、もいたんだ!あれ、もしかしてお邪魔だったー?」
「アホ。ランニングの休憩中だよ。遅れそうなら、早く行ったら」
「へーいへーい。じゃ、三橋行こー」
「う、うん!ちゃん、ば、ばいばい」
「はい、さよーなら」

急に吹いてきた突風と共に、二人とも去っていった。途中栄口が、「三橋っての事、ちゃんなんて呼んでたっけ?」って聞いている声が聞こえた。返事はあんまり 聞こえなかった。あのオドオドしているところからして、返答に戸惑っているのだろう。別にたいした事じゃないのにさ。 すっかり冷めた肉まんが、春のもうすぐ終る暖かいこの日に、かなり季節はずれだった。それでも、お腹はすく。 彼に貰った、三橋君に貰った肉まんを食べて、学校まで走ってみようかな、と柄にもない恋心に近いものが、心によぎった。
高校球児は、夏には気合が入るだろう。その分夏は好きなんだろうな……そう思うと、嫌いな夏が少し待ち遠しいように感じた。いや、彼の輝く姿を見るのが待ち遠しい。そういったほうが良いだろうか。




(08.04.23)