大層な昔の事、わたしはルキアさまよりも早くに朽木家に拾われたのです。
その時から白哉さまの奥様が亡くなられるまでの間、世話役として勤め、時折死神としても働きながら暮らしていました。それはもう大変忙しい毎日で、息つく暇などないほどに日々は過ぎていきました。それでも心休まるときといえば、わたしを拾ってくださった白哉さまに奥様の体調は良好です、と伝えるときぐらいだったでしょう。その時の白哉さまの顔といわれたら安堵に満ち溢れていて、何かに感染するかのようにわたしも満たされてゆくのです。けれどもそれは忙しい毎日にすぐさま浚われてしまうほど小さな休息でした。
ところがある晩に奥様の容態は著しく悪化し、その日を境に奥様は元気を失くしてしまわれました。ご一緒にお団子を食べていた午後が嘘の様に無くなり、交わす言葉も日常のおしゃべりもどこえやらといった感じでした。しだいに白哉さまに奥様の容態を伝えることは心休まるなどもってのほかで、一日の中で最も心苦しくなってしまったのです。
そして奥様は亡くなられました。
奥様がが逝くとき、わたしにかけてくださった言葉などありませんでした。ただ白哉様になにかを懸命に伝えこちらに一瞬視線を配ったかと思えば、ふっと儚く逝ってしまわれたのです。それからしばらくして、ルキアさまが白哉さまに連れられ朽木家にやってきたのです。その美しい容姿が奥様と瓜二つだという事に、嫉妬したのは刹那でした。
「ご兄弟ですね、奥様の」
「そうだ」
それだけ言われると、白哉さまはわたしに背を向けご自分のお部屋にもどられました。そしてわたしは気づくのです。
既にわたしはあの方の眼中に無い。
それだけ気づけば十分で、あの刹那の嫉妬もきっとそのせいだったのでしょう。
わたしは世話役として最後の役目に、奥様の部屋のお掃除を命ぜられました。隅から隅までを丹念に掃除し、荷物などを整理しました。その荷物のなかに思い出の品などもしばしばあったものですから、涙がでてしまい留められない時もありました。嗚呼結局、白哉さまの愛する奥様を愛し、そこから白哉さまに認めてもらおうとしていた無様なわたしが一番惨めで泣けるのです。
わたしは一枚の写真を持ち、白哉さまの部屋に向かった。それはわたしがこの家に引き取られた頃、白哉さまと奥様とわたしが写った写真でした。
「失礼します。です」
「なにか用か」
「奥様のお荷物などを、お持ちいたしました」
「そうか……」
白哉さまはどこか悲しげに嘆いているようにも見えました。一瞬わたしに向けられた視線は、白哉さまのお読みになっている本にすぐさま吸い込まれてしまいました。その様子といえばあの時、奥様が亡くなられたときわたしに向けられたものにそっくりで、感覚が鮮やかに蘇り息すら詰まりそうです。所詮誰かがわたしに向けられる視線など刹那のものです。わたしは彼等のありふれた人間関係につながる一人なのです。それはとても悲しい事だと思うのです。
わたしはどの荷物よりも先に、あの写真を差し出した。
「この写真を覚えていらっしゃいますか」
「ああ、が始めてこの家に来たときのものだ」
「奥様、笑っていらっしゃいます。白哉さまも」
「なにが言いたい」
やはり白哉さま。あなたはわたしのお気持ちなど知るよしも無く、ただ感情に疎いお方ですね。今改めて感じています。あの頃は殊にお二人の幸せを願っておりましたが、それはかなわぬ事です。いえ、どちらかといえば二人の幸せよりも白哉さまの幸せを重点的に願っていたのでしょう。あの安堵の顔見たさに、奥様の世話役に勤めていたのですから。
「、話の続きはどうした」
ええそうでしたね、と続けることはできませんでした。その代わりにわたしは大粒の涙を迸るほどに流しました。なぜこんなにも悲しい事ばかりなのでしょうか。このままもっと惨めに染まっていくわたしを目に入れては欲しく有りませんから、わたしは話しを続けようとしました。けれども声がつまり、むぜび泣いているようにさえ聞こえてしまいました。ほんとうにわたしは惨めです。
「すみません、こんなことをしにきたのではないのに」
「なにも泣く必要は無い。話せばよい」
「あの時、この写真を撮ったときに白哉様は、わたしのために笑ってくださいましたか」
「そうだと、思うが」
「ありがとうございます。でも、それは果たして、本当の事でしょうか。わたしは恐ろしくてなりません。奥様も白哉様も、わたしに向ける視線も笑顔も刹那のものでした。恐ろしくてならないのです。奥様が亡くなられた今、いつここを追い出されるのかと思えば。また一人になるのかと思えば、恐ろしくてならないのです」
「……安心しろ。おまえはこの朽木家に逝くまでいてもよいのだから」
「そうではないのです。こことは、心寄せるもののことです。わたしは華やかな暮らしがほしいのではありません。心寄せる場所がほしかったのです」
「それが、我が妻の心であったから故に、そこまで泣くのか」
「厳密に言えば、そうではございません。白哉様に拾っていただいたときから、そこがわたしの求めていた心でした」
「、」
わたしの留まる事を知らぬ涙が、履物に水溜りを造る前に、白哉様をあだ名で呼ぶ声がしました。それはとても明るいもので、やちる様のものだとすぐに分かりました。また例の会でここにお尋ねに来られたのでしょう。
いつまでもこの惨めなわたしを目に入れるのは、さぞかし不快なことでしょうから、覚悟しました。
「わたしは今日限り、朽木家を出る事に致します。惨めなものはここには要りませんから。やちるさまが来たようです。金平糖をお出ししておきますね」
「、待て。そんなこと……」
「びゃっくん、あそぼ!あっちゃんだ!」
「やちる様、こんにちは。金平糖、すぐに持って参ります」
「あれ、ちゃん何で泣いてるの?あ、びゃっくん泣かせたな!」
「……」
「違いますよ。心配なさらないで下さい」
「やちる、今は少し」
「そういえば金平糖は今きらしておりましたね。買ってこなければ。それでは、白哉様、やちる様」
さようなら。
わたしは心配な顔つきをされているやちる様、そして心寄せるつもりであった白哉さまの前を去りました。名前を呼んでくださったと思うのですが、振り返ることは覚悟したものに許される事ではありません。金平糖はきらしてなどいませんでしたし、持ってまいるつもりもありませんでした。変わりに別の使いの方に頼んでおき、それがまた快く引き受けてくださったものですから、やちるさまの人気はすばらしいものだと思い知らされるのです。羨ましい限りですが、これもまた覚悟したものが求めるものではありません。わたしが求めていたのは心寄せる場所であったのですから。
荷物などは一切持たず、朽木家を出ました。二度と御目にかかることが無い白哉様のお顔を思い浮かべると、また涙が溢れてしまいました。なぜこんな悲しい事ばかりなのでしょうか。なぜこんなにも苦しいのでしょうか。さよならです、白哉様。この悲しみも苦しみも、刹那であるよう祈るばかりです。
それから数年後、わたしは今破面としてここにいます。わたしをこの様にしてくださった方が、以前隊長としてご活躍なさっていた藍染様だということに最初は戸惑いを感じましたが、破面となった今感情は欠片ほどしか有りません。市丸様、東仙様が御仲間であるという事にも。今わたしが心寄せる場所は白哉さまではなく、藍染さまのはずですがそれはできないことでした。破面となった今でも揺るがないものがあるのです。
任務が言い渡されました。尸魂界への任務です。心躍るのはやはり白哉さま、あなたのせいでしょう。
さよならと、あの日伝えたはずなのに。
(08.05.31)